大判例

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東京地方裁判所 昭和47年(むのイ)256号 決定

新聞記者

西山太吉

昭和六年九月一〇日生

右の者に対する国家公務員法違反被疑事件について、昭和四七年四月六日東京地方裁判所裁判官佐々木史朗がした勾留の裁判に対し、同月八日弁護人高木一、同大野正男から適法な準抗告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

原裁判を取消す。

本件勾留請求を却下する。

理由

一、申立の趣旨および理由

別紙「準抗告申立書」と題する書面記載のとおり。

二、当栽判所の判断

関係記録によれば、

(一)  被疑者が昭和四六年五月下旬ころから六月中旬ころにかけて、外務事務官蓮見喜久子に対しいわゆる沖繩返還協定に関する外務大臣と在米、在仏大使間の外務電信文(あるいはその写し)三通を交付することを要求したことは明らかである。

そこでまず、国家公務員法一〇〇条一項にいわゆる秘密の意義について考えるに、同条がいわゆる刑罰法規であることから、これを厳格・慎重に解することが必要であつて、単に行政官庁による形式上の秘密指定があることの一事をもつて足りるものではなく、行政目的を達するため必要かつ相当である実質を備えていることが要求されるものと解されるところ(なお、その判定にあたつては、当該行政官庁による適切妥当な運用基準にもとづく秘密扱いの判断は尊重されてしかるべきである。)、本件の国家公務員法違反は同法一一一条、一〇九条一二号に該当するとされるものであつて、その「そそのかし」が独立犯として処罰される関係から、秘密性に関する実質的判断も、そこに多少なり予測的要素を加えて考えざるをえないことはまた当然である。

ところで本件のばあい、被疑者の行為は単に「そそのかし」にとどまるものではなく、それによつて現実に文書を入手した事案であるから、その内容を事後的に推考してみると、現段階においてはこれを公表してなんら妨げないとみられる部分もないではないが、しかし少なくとも本件被疑事実を構成するところの前記交付の要求をした時点においては、外交の必要上、実質的にも刑罰による保護に価する部分が含まれていたものと認めるが相当である。

(二)  次に、本件電信文の交付を求めたことが、前記罰条にいうそそのかす行為にあたるか否かについて判断するに、被疑者は、新聞記者として報道のための取材をする目的で前記蓮見喜久子に対し右文書の交付を求めたものであることが明らかである。そこで、被疑者の右行為がいわゆる報道の自由の観点から、取材活動として法律上許容されうるものであるかどうか問題となるが、もとより、報道の自由、またそのための取材活動の自由は、憲法二一条の精神に照らし十分尊重されるべきことはもちろんであつて、それが社会通念上相当な手段・方法による限り、公務員に対し情報の提供を求めたとしても、それが直ちに前記罰条にいうそそのかす行為に該当することにはならないと解せられる。しかしながら、右取材の自由といえども無制限に認められるものではなく、取材の手段・方法自体が違法であるばあいはもちろん、それが相手方の困惑に乗じあるいは相手方を欺罔したばあいなどのように、不当な心理的影響を与えることによつて、相当性の限界を逸脱したときは、たとえ取材のための行動であつても、そのそそのかし行為は、前記罰条による処罰の対象となるものと解すべきであつて、本件における被疑者の右交付を求めた行為は、前記資料によつて認められるその手段・方法において、取材活動として前記相当性の限界を逸脱しているものといわざるをえない。

(三)  そこで進んで、本件勾留の理由ならびに必要性について判断するに、本件においては物的証拠もないではないが、しかし、前記蓮見喜久子ら事件関係人の供述が本件の立証のために極めて重要であることは明らかであり、この点から被疑者が右関係人らに働きかけ、あるいはこれらの者と通謀して罪証隠滅をはかるおそれは多分にあるといわざるをえず、この点において原裁判はあながち不当といい難いが、しかし、すでに被疑者は本件事実の主要部分について自白しており、また本件関係人の供述もある程度収集されていることから考えると、なお細部において被疑者や関係人の間に供述のくいちがいがあるにしても、前記罪証隠滅のおそれはさほど強度のものとはいえず、その他本件事案の性質、態様等諸般の事情を考慮すると、今後さらに被疑者の身柄を拘束しておく必要性に乏しいといわざるを得ず、本件準抗告は、結論において理由がある。

三、適用法条

刑事訴訟法四三二条、四二六条二項

(服部一雄 荻原昌三郎 藤井一男)

準抗告申立書

被疑者 西山太吉

右の者に対する国家公務員法違反被疑事件について、東京地方裁判所刑事一四部裁判官佐々木史朗が昭和四七年四月六日になした勾留決定について左記のとおり準抗告の申立をする。

昭和四七年四月八日

右弁護人 高木一

同 大野正男

東京地方裁判所

刑事部 御中

準抗告の趣旨

被疑者西山太吉に対する国家公務員法違反被疑事件について、東京地方裁判所刑事一四部裁判官佐々木史朗が昭和四七年四月六日になした勾留決定を取消す

右被疑者に対する勾留請求はこれを却下する

との裁判を求める

準抗告の理由

第一(本件電信文は国家公務員法一〇〇条項にいう秘密に当らない)

一、原決定は、本件被疑事実が国家公務員法一一一条、一〇九条一二号、一〇〇条一項に該当することを前提にして、被疑者(以下西山記者という)には、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるとしている。

しかしながら、以下に述べるとおり、国家公務員法一〇九条一二号、一〇〇条一項により守秘義務が課せられている秘密とは、国民の利益のために刑罰をもつてまで保護すべき実体を持つたいわゆる実質的秘密と解すべきである。

しかるに、本件被疑事実記載の電信文計三通は、いずれも、かかる実質的秘密に該当しないことは明らかであるから、本件被疑事実自体がそもそも前記法条の構成要件に該当しないといわなければならない。

二、すなわち、単に国家機関の内部における秘密指定の秩序の維持を図ろうとするのであれば懲戒処分等の行政罰をもつて臨めば十分であつて、いやしくも刑罰をもつて臨む以上、国民の利益という観点からして、刑罰によつて保護すべき実体を持つた秘密であることを要するのである。(同旨の判例として大阪地裁昭和四二年五月一一日判決、判例時報四八五号二七頁、同昭和三五年四月六日判決、判例時報二二三号六頁等がある。なお鵜飼信成「公務員法」一一一頁)

三、そこで、本件をみるに、本件被疑事実において秘密とされている電信文三通は、いずれも沖繩返還協定交渉における交渉経過ないしは交渉結果についての報告に関するものであつて、そもそも国民に対し秘匿すべきものではない。

しかもその中心的内容は、日本政府が米国政府に対し一方において四百万ドルの補償の請求をし、これを米国政府が承諾した外形をとりつつ、他方において、わが国の対米支払分を四百万ドル上のせすることを承知するという極めて偽瞞的なものである。これを外務省が秘密としたのは、外国に対しわが国の国益を守るからではなく、まさにわが国民を欺罔するための手段でしかない。

四、このような“政府”の秘密の保持は、到底刑罰上の保護法益たりうるものではない。その秘密をもらしたものを処罰し、或いはこれを被疑事実として身柄を拘束することこそが、国民の利益と自由に対する重大な侵害である。

いわゆるベトナム機密文書漏洩事件に関する連邦最高裁判決において、ダグラス判事は「政府の秘密主義は、基本的に反民主主義的であり、官僚の誤りを永続させるものである。公共の問題についての公開の議論と討論は、わが国の健全さに必要欠くべからざるものである。公共の問題についてこそ『公開の力強い論議』がなされるべきなのである。」と述べたが、本件こそまさにその適例である。

五、以上要するに、本件電信文三通は、いずれも実質的秘密性を有せず、国家公務員法一〇〇条一項にいう秘密には該当しないものというべきであり、従つて、本件被疑事実は、それが仮に事実であつたとしても同法一一一条の構成要件を充足せず犯罪を構成しないというべきである。

よつて、原決定は、まずこの点において取り消さるべきである。

第二(西山記者の行為は国民の知る権利に奉仕するための正直なニュース取材であつて罪とはならない)

一、(取材の自由の憲法上の地位とその範囲)

民主政治は国政について十分な理解と知識をもつた啓発された市民の存在を必然の前提とする。従つて民主制下においては国民の一人一人が自らに多大の影響を及ぼす重要な政策、政治について知る機会(権利)が最大限に保障されなければならない。報道の自由は憲法二一条の保障するところであるが、それはこのような国民の知る権利に奉仕するものとして、同条の中でもとりわけ枢要な地位を占めるものである。

又、報道の自由は、この必然不可欠の前提として取材の自由を必要とする。取材なき報道は考えられないからである。従つて報道の自由の憲法上の保障は当然に取材の自由の憲法上の保障を伴う。このことは取材フイルム提出命令事件についての昭和四四年一一月二六日最高裁大法廷判決(判例時報五七四号一一頁)も既に明示したところである。

ところで取材の自由という場合、取材の方法はニュースの性質、内容、環境、取材の対象等によつてさまざまのものがありうることは当然である。しかしこれを出来る限り広く自由に認めることが取材の自由の憲法上の保障を全うするゆえんである。それ故、暴行・脅迫・強要の刑法上の犯罪を伴うものでない限りは、取材は道義的あるいは社会的非難を浴びる余地のあることは格別、法の制裁を以つて禁圧されてはならないというべきである。ニュースの複雑多様性、重大性に応じて、その取材方法も多様である。

また取材すべきニュースが国民全体に重大な影響をもつものであり、これを報道することが真の意味の国民の利益や国益にかなうものであり報道の必要が極めて大きいにもかかわらず、ニュースの性質、取材の対象等よりして取材がいちじるしく困難なことはしばしばあるのであつて(新聞で伝えられる如く、国民に対して、過度の秘密主義をとる行政官庁を取材の対象にする場合などはその典型である。)、このような場合に新聞記者は取材をことわられ、あるいは秘密主義的態度をとられたらそれ以上何らなすところなく、引きさがるというのであればそこに何らの違法もあるいは不当も生じないかわりに新聞は国民の知る権利に対する義務を何ら果しえないことになるのである。当然、取材を断わられれば新聞記者は取材源を綿密にフオローし、あるいはねばり強く執拗にニュースの提供を求めることがあるであろう。しかしながらプレスの自由に関する米国連邦最高裁の著名な判決も述べる如く「すべての適切な用法にはある程度の濫用が伴うことは必須でありこのことは何物にもましてプレスの自由について強くいわれねばならない」のであり、守るべき重要な言論を保護するためには言論を過剰なくらい保護しなければならないのである。

このことは、取材の自由の保障についてもまさしくいいうるところである。

二、国家公務員法一一一条「そそのかし」の範囲

以上の通り、国家公務員法一一一条にいう「そそのかし」を記者の取材活動に適用することは、原則として憲法二一条に違反するものであり、少くも当該取材方法が前記の如きそれ自体刑法上の犯罪を構成するような場合でない限り適用の余地なく、本件西山記者の如くかねて懇意の蓮見事務官にニュースの提供を求めたからといつて、それが犯罪を構成するものでないこと明らかである。

三、(西山記者の取材方法)

そこで本件の問題とされている西山記者の取材方法について具体的に検討して見るに(西山記者の取材が新聞報道を前提にしたものであることは昭和四六年六月一八日付毎日新聞の同記者署名入り記事からも明らかである)、西山記者は蓮見事務官に対し電話または口頭で電信文を交付するように申し向けたというものであり、そこには何らの犯罪的行為はない。

このような西山記者の行為が国家公務員法一一一条に違反するというのであれば、政府が発表したニュース以外のものについて取材し報道しようとすることはすべて同条違反の犯罪となつてしまい、およそ取材の自由は存在しえなくなるであろう。西山記者の逮捕、勾留について赤城農林大臣が昭和四七年四月七日、新聞記者のモラルと法律問題を混同していると批判したと伝えられているのは、この点をつくものであり極めて正当というべきである。

西山記者の本件取材は何ら刑法上の非難を受けるべきものではなく、国家公務員法一一一条適用の範囲外にあるというべきである。

第三(勾留の必要性について)

一、勾留の必要性を考えるにあたつて、まず考慮すべき点は本件の特殊性である。本件は新聞記者のニュース取材に関係するものである。取材の自由が報道の前提として憲法二一条により最大限の保障をうけることは前述のとおりであるが、このことから裁判所は取材に関連して起つた事件について、新聞記者の身柄を拘束しようとするにあたつては、通常の事件にもまして最大限の慎重さを要求されるのである。なぜならそのような事件について安易に身柄の拘束を認めることは当該記者にとどまらず新聞記者一般をして自らの取材が国家公務員法一一一条違反として処罰されはしないかとの懸念を常に抱かせることになり、報道記者に極めて大きな一般的な禁圧的影響を及ぼし民主社会存立に必須な、新聞の自由な取材を現在、将来にわたつて大きく制限することになるからである。

米国連邦最高裁は、言論の自由に関係する場合には政府の行為が直接に言論の自由を制限する場合に限らず、極めて間接的にしか言論の自由を制限することにならない場合であつても、これをきびしく審査し違憲の推定を以つてのぞんでいるが、これは本件のような場合にも等しく考えねばならないことである。現に昨年六月起つたいわゆるニューヨーク・タイムス事件について米国の捜査官が秘密文書の提供者であるエルスパーグは間もなく逮捕しながら、これを受け取つたニューヨーク・タイムズ紙のシーハン記者については極めて慎重な捜査を行つて未だ逮捕状を求めるにすらいたつていないことは将に右の連邦最高裁の考え方を十分考慮したものといえよう。その憲法上の意味合いからすれば本件についても裁判所は同様の慎重さが要求されるものというべく、身柄拘束が新聞記者一般に及ぼす大きなマイナスの影響を考えるときには、勾留の必要性は最も厳格に規制されなければならないのである。

二、そこで以上の点を念頭に本件について具体的に検討して見る。

西山記者は、本件被疑事実の骨子をすべて認めている。また同じく勾留中の蓮見事務官も本件で問題となつている電信文のコピーを西山記者に交付した事実を認めている。しかも、本件コピーが既に西山記者の手許にないことも明らかである。

従つて現段階で西山記者が蓮見事務官に働らきかけたり、あるいは本件コピーを隠滅したりする等して罪証を隠滅する理由はないし、また現実にこのようなことをなしうる余地も全くない。

三、右の如く西山記者については、そもそもその罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由は全くないのであり、まして、報道の自由、取材の自由に対するマイナスの影響を考慮したうえで、勾留が必要やむを得ないとする理由は全くないのである。

よつて、勾留の必要性についても原決定は誤りを犯したものといわざるを得ない。

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